「明日なき森」は、2008年にいちいがしの会が発刊した後藤伸の講演録です。
後藤は、主な研究テーマが「カメムシ」でしたが、それにとどまらず昆虫、動植物、魚類等にも精通していました。数十年にわたって熊野の山々を踏破、年間3000~4000mmは降る雨量から、熊野の自然を読み解いて行き、その特徴を講演録で熱く語っています。講演録のトップに掲載されている「常識外の生物がわんさ」は、炭焼きのお爺さんから教わった自然の見方がとてもユニークです。
きょうは、僕がこの田辺市に来て、大塔(おおとう)の山の生物を調べ始めるそもそものきっかけについてお話をしたいと思います。
僕が、たまたま和歌山大学(教育学部)に入ったら、同期の学生の中に、大塔村の三川(みかわ)出身という女の人がおったんです。その人と話してたら、なんか話がまるっきり合わんのですよ。「うちの庭を、じきに(頻繁に)カモシカが走っている」とか言うんですよね。三川はバスもないし車もめったに通らんので、その人は時折通るトラックに乗んねんけども、そのトラックへ乗ったときに、春ですな、「きょうは、ものすごう美しいシャクナゲの花が咲いてあった」とも言うんですよ。
今はみなさんも知っているけども、その時分には、シャクナゲは大体1000メートルを超すような高い山の植物で、そこの動物の代表がカモシカやというくらいの知識しかなかったんです。
僕が「何もかも無茶言う」と言うたら、怒って「見においで!」って言われた。合川(ごうがわ)ダムがなかったころです。あのダムの下はものすごい絶壁の渓谷で、もちろん炭を運ぶトラックに乗せてもろて行ったのですが、それが1951年です。まあ、古い話やけども、そのときが大塔に足を踏み入れた最初でした。で、行ってみたらウソやなかったんです。
それ以来、僕は大塔山の虜(とりこ)になってしもうて、「何がなんでも大塔や!」と、教師を始めてからも毎年この大塔の山へ通いました。古座川(こざがわ)から入ったり、熊野川のほうから入ったり、中辺路(なかへち)の、今の国道371号側から山伝いに入ろうとしたりしたんです。
いろいろして、行けば行くほどこの大塔の生きものというのは面白いんですよ。「何が出てくるか、分からん」ということが面白いんです。長野県あたりで採れたことのある植物とか虫とか、温暖な紀州に棲んでいるはずのない、絶対に見ることができんと思っていたものがちゃんと大塔におるんですよ。
当時は僕も若かったんで張り切っとって、京都とか東京で昆虫学会があるときに、そんな虫とかを持って喋りに行ったり見せに行ったりしたんです。ところが、そのために僕はまるっきり信用をなくしましてね。「こんな、あるはずのないもん持ってきて自慢する」と言われて、ものすごく信用をなくしたんです。ほんとにシャクやった。
たとえば、図鑑では海抜2000メートル近い山にしかいない高山性の動物というのが、三川あたりに行くと、なんのことはない、100メートルとか200メートルとか、今はダムの底になっているところにおったんです。僕は嘘言うてるわけやないのにみんなにバカにされたんやから、「これはぜったい徹底抗戦するんや!」と張り切ったんです。それで、結局田辺に来たんです。