講 師/竹内照文氏(当会理事 元水産試験場長)
日 時/2024年9月28日(土)
場 所/JA紀南中央営農経済センター
参加者/25名
講演要旨
水産試験場での1973年から37年間の研究生活、うち約15年間は植物プランクトンの有毒渦鞭毛藻の一種、アレキサンドリウム・カテネラの生態を追っていた。アサリなどの二枚貝がこれを取り込むと貝が毒化し、同属のアレキサンドリウム・タマレンセとともに、日本で麻痺性貝毒を起こす代表的な生物である。
大きさは 30-40ミクロンくらい、分類は形態的な特徴を顕微鏡下で観察して行う。田辺湾内ノ浦でとくに多く発生する。
■ 生物の形態と遺伝子
渦鞭毛藻は形態分類で同一種でも、生息場所などで遺伝子形質が異なり、毒性の強さが違うこともあり、形態による分類の限界が議論され、25年ほど前から遺伝子の調査・研究が始まった。
では樹木はどうか、ふたつの報告をあげる。
1)ホオノキでは、岐阜県内と鳥取県大山では遺伝子解析で少し違う(中島)。
2)トガサワラでは、高知県と紀伊半島の群で遺伝子的な差異があった(玉城)。
他にも同様の報告は多く、同種の木であっても、生育している地域が違えば遺伝子的には必ずしも同じではないと考えるべきである。
■ 正しい植樹活動とは?
当会は植樹をしている。昨今の報道などを見ると、植樹活動は環境によく、無条件に正しい活動であるかのように扱われている。しかし本来その環境(地域)にない樹種を植えるのは誤りである。さらに樹種の選択は正しくても、育った地域が違えば遺伝的には同じでない可能性まで考慮する必要がある。県外から買った苗木を熊野の森に植えたという話を聞くことがあるが、植える人の思いとは別に、遺伝子の攪乱という点からは間違った植樹である。自然を改変する場合は、その時点で得られている科学的知見をよく調べた上で行うべきであり、戦後の一時期に行なわれた拡大造林にしてはいけない。
■ 当県の漁獲量の推移
1950年からの漁獲量の増加は、戦時中には漁業に手が回らず漁獲圧が減って資源量が増えた結果だろう。戦後に漁業を再開した時は、装備・機材はもちろん技術も未熟だったが資源量は多かったので、技術・装備の改良につれて漁獲量は増えたものと思われる。1960年代後半からいわゆる栽培漁業も始まった。漁獲量のピークは1988年で和歌山県の海域で9万トンに達した。ところがその後漁獲が減り始め、資源を守りながらという努力もしたが効果はなく、減る一方となっている。原因はいろいろ考えられるが、栄養塩が減ったためではないかと思われる。肥料のない畑のように、魚を育む海の力が小さくなった。つまり、海の生物生産の低下である。
■ 食物連鎖と生物生産
海の最初の生産者は陸上と同じで植物、海藻と植物プランクトンである。一次消費者の動物プランクトンがこれを食べ、それをイワシやアジなどが食べ、マグロなどの魚食者がそれを食べてという食物連鎖の、そもそものベースには栄養塩の役割がある。畑の肥料は、窒素、リン、カリウムが定番だが、海ではカリウムではなくケイ素となる。これらは有機物の分解によって作られ、アンモニア、硝酸、亜硝酸をあわせて栄養塩という。
海の栄養塩のルーツのひとつはいわゆる深層水、これは栄養分が多く無菌状態の水で、外洋の底層から沿岸域へ入ってくる。もうひとつは陸上から入ってくる河川水などである。深層水は地形や海流に大きな変化がなければ大きくは変らないが、陸からの栄養は陸上の変化によって大きな影響を受けるので、これに注目した。
■ 森と水の循環
20年くらい前、森の荒廃、耕作放棄地の増加、工業・家庭排水など、水の循環が悪化していると言われはじめた。2010年頃、海の牡蠣を育てるため山へ木を植えるという運動が全国的に拡がり、当県でも県漁連が中心となって「漁師の森」という植樹活動が行われ、私も参加した。同じ頃当会にも入会した。
木を植えれば川の水が増え、陸上から栄養塩が供給されると当時から思いこんでいた。ところが最近読んだ本に「森、植樹は水を生産するものだと思っている人がいるが、森は水を消費するものである」とあった。考えてみればそのとおりで、木は水を吸いこんで光合成に使って、水を消費すると気づいた。
また他の本で、森には蒸散作用と樹冠遮断作用があるが、蒸散は地中の水を大気中に放出、樹冠遮断は降雨の一部が土壌に入るのをさまたげ、このふたつは河川水量にとってはマイナスに働く。一方で、平準化作用は余った水を河川にもどすのでプラスに働く。人間にとっては渇水緩和と洪水緩和が重要だが、洪水緩和には蒸発が多い方が良く、渇水緩和には地中に入る水が多い方が良い、とあった。河の水量を増やすためには降った雨が土へしみ込むような森・山を作って行かないといけないと考えた。
■ 森と水の関係
スギ・ヒノキの森林で間伐の強度を変えて土壌の変化を調べた研究では、土壌中の窒素濃度の経時的な増加速度は弱間伐(20%)では無間伐と大差がないが、強間伐(50%)では明らかに増加した。また、表層への水浸透能も、強間伐では無・弱間伐よりも大きく改善した。
水浸透能(表層土壌の透水流量)が高ければ雨量のうち地中へ浸透する割合が増え、直接に川へ流入する地表流の割合は減るので、大雨による河川水量の上昇はおだやかになる。また強間伐によって日光が地表に入ると、林間には草や広葉樹が生え、これらは針葉樹の葉よりも分解が早いので、土壌中で有機態窒素に変わり、さらに一帯の植物生産を増加させるというサイクルができる。弱間伐では見た目はましになっても、土中では根が貧弱で無間伐と大差はなく、このような木は強風などで倒れやすい。さらに土壌を保持する作用が弱いため斜面崩壊が起きやすく、土砂災害の危険性が高い。
■ この地域で川の水量は減っているのか?
川の水が減ったという話をよく耳にする。近所の会津川でも、冬の渇水期には水は少なく瀬切れも稀ではない。一方、少し雨が強いと濁流になり、河口部から田辺湾にかけて濁水におおわれることも多い。会津川の流量の経時的変化について、データを入手しようと県振興局の土木課を訪れ、県庁への連絡などの末ようやく入手できた。測定場所は高山寺付近、渇水期(12、1、2月)の流量平均値を年別に算出した。降水量は気象庁のサイトから入手した。この地域の測定点は栗栖川と白浜のみで、白浜は遠いので栗栖川の値を用いた。傾向としては河川水量と降水量は相関がありそうに思える。
また拡大造林以前の時期は測定されてないので、その前後で会津川の水量が変化したかどうかは不明であり、今回のデータでは川の水が減ったという証拠を得られなかった。
■ 田辺湾の漁場環境の変遷
ここからは海の話になる。海が貧栄養から富栄養になると、有機物が増加して餌が増えるので、まず植物プランクトンが増え、動物プランクトンも増える。底生生物、ゴカイなども増えてくる。海水中の生物が増えると透明度は低下し、表層では植物プランクトンの光合成によって溶存酸素が増え、底層では酸素は減っていく、というのが原則である。
・透明度:全体として上昇し高水温期の低下も減少。
・溶存酸素:1985年頃から底層水の溶存酸素が上昇、無酸素水塊がなくなり、貧酸素水塊の規模も縮小した。
・底質(COD、AVS):1980年代後半から南~東部域で回復。
・栄養塩:湾奥部で1980年代後半からNO3(硝酸イオン)が著しく低下。
・赤潮:1980年代後半から減少し現在は少なくなった。
田辺湾というのは特殊な事例で、外洋と陸上から入る栄養塩に加えて、大規模化した養殖で海に入った栄養によって環境の変動が起こってきた。ところがその後に養殖の規模縮小や餌の改良などで、海が非常にきれいになってきた。
■ 海況の変化と漁獲量の変化
海水の温度は上がり、栄養塩は減少し、透明度は上がっているという状況のなかで、沿岸域の漁獲量はどう変化しているのか。
1)エビ漕ぎ網:田辺湾の漁業のうちでも大きなものである。5トン前後の船で小さい網の底引きで主な対象はアシアカエビ(クマエビ)で、夕方から夜12時くらいまで操業する。ピーク時は25隻ほどあり、1990年には 20トン漁獲されていたがその後は減少し、今ではこの漁業はなくなった。
2)海産稚アユ:これも重要なものだがデータを入手できなかったので2つの論文の値を示す。田辺湾の採捕量の1960年からの経過で、この期間はだいたい10-20トンくらいはとれ、50トン近くとれたこともあった。11991年以降は最大でも8トン未満で、最近数年はゼロが多く、多くても1トンあるかどうか、となった。
原因としては、田辺湾は人工護岸が増え、自然海浜がほとんど失われた影響ではないかと感じている。つまり漁業ができないような海になってきた。
3)海藻類:これは沿岸の環境に非常に敏感に反応して増減する。ピーク時、1980年代の半ばは2000トン近くとれていたが、今は200トンくらい、ピークの1割しかとれない。海藻の漁獲量の減少は、漁業者が減ったことも一因であろう。
4)あわび類:多いときは150トン獲れていたが今は 50トン以下と激減した。手短かに表現すると、ほとんどとれなくなったということになる。
5)しらす・いわし類:いわしの漁獲も減った。とくに平成の後半2006年あたりから大きく減り、2014年からさらに低下している。しらすは今のところはまだがんばっており、極端な変動は見られない。
6)さば類とあじ類:さばも減ってきている。2007―2011年ころに少し増えているが、これはゴマサバが増えたためである。ゴマサバは暖海性で串本に多かったが、北上してきて紀伊水道で獲れるようになった。あじも非常に大きく減少している。
このように、沿岸域の漁獲量が減ってきたのは、水温が上がり、栄養塩が減り、基礎生産量が低下してきているということで、海が魚を育む力が弱くなっているのではないかと考えられる。
また、水温上昇による磯焼けが広がり、そこへサンゴが拡大している。以前は、串本周辺にいる熱帯魚も冬の低水温で死んでいたが、今は1年中生きのびて、北へ拡大している。これは漁業にとっては悪い変化であるが、一方では環境省を含めて、ダイビングの人たちには豊かな海と映る。目良に水産試験場があった頃は、天神崎の海にサンゴ礁はなく海藻におおわれていた。今は海藻が失われいわば外来生物であるサンゴが増えている。
大阪府は、あの小さな海岸線で和歌山より漁獲が多い。つまり生産力が高い。和歌山は、海は広く海岸線も長いが、海中に栄養分のない海なので漁獲は減る一方である。
2024年の兵庫県のイカナゴ漁で、一度漁をしたら非常に少なかったのでその後の漁を止めた。ニュースでは、水産試験場の人が、排水規制がきびしすぎる、もう少し規制をゆるめては、と発言していた。規制を変えるのは大変なので、可能な方法としてため池の水を放流という提案をしていた。
漁獲量を上げるためには海を豊かにすることが最も重要な施策で、黒潮の蛇行とかいわれるが、基本は生物生産の基盤にある海の栄養である。奥山のスギ・ヒノキを照葉樹に変えていくのは、このためにも必要な運動であり、当会の活動を続けたいと考えている。
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